望みつつ 望みつつ しかし 「いつか」は やってこない。
20年くらい前の元旦の静岡新聞で知った沢木耕太郎さんの言葉です。やりたいと望んでも「いつか」と思っている限りは実現できない、そんな意味だと思います。
自分は今から7年前の47歳の時に農業を始めました。それまでの仕事は楽しく充実していて安定もしていたし、何より踏み出すのが怖くて、農業をやってみたいという思いは「いつか」で終わってしまうのかなと思うことがよくありました。
踏み出すことが出来たのは妻の応援であり、周囲の理解があったからですが、他にも背中を押してくれたものがいくつかあり、そのひとつが秋野不矩美術館です。


この美術館は、彼女が生まれた天竜の街が一望できる高台にあり、壁に漆喰が施された、とても心が落ち着く美術館です。インドに魅せられた彼女は93歳で亡くなるまでインドの風景・寺院などをモチーフに、インドの持つ神秘性にあふれた作品を描き続けました。その彼女が初めてインドに行ったのが54歳の時で、「あとから考えると驚くほど躊躇することなくインドに行き、描きたいそのものが、そこにすっかりあった」というエピソードがとても衝撃的でした。
「54歳で出会ったことで、こんなにすごい作品を残すことができたんだ。まだ、自分は遅くないかもしれない。これから可能性を追求してもいいかもしれない。」そんなことを彼女の作品の前で何回も何回も考えました。
いざ始めてみると大変なこともありますが、農業は可能性がいっぱいです。農業を始めることを「いつか」で終わらせなくて良かったと実感しています。次世代が農業経営に踏み出すきっかけとなるような魅力的な経営体になることが自分の使命です。

【記事の出典元について】
しあわせ野菜畑の代表の大角は、静岡県高等学校の農業教員でしたが、47歳の時に退職し2009年に起業しました。教員生活は大変楽しく充実していましたが、農業経営者として自分自身が農業の可能性に賭けてみようと考えました。
起業して5年目の2014年4月から1年間、地元の静岡新聞に農業経営者の声「こだま」を、毎月2回書かせていただく機会がありました。
今回の記事は2014年に書いた「こだま」の原稿です。
当時とは、現状が変わっている部分も多いのですが、自分自身の原点として、そのまま記載しています。
いつか、「その後」の文章を記載したりしたいと思いますが、「農業で起業したころの想い」としてお読みください。
「秋野不矩美術館で考えたこと」
(出典元)静岡新聞2014年5月第3日曜日、農業欄「こだま」より
