自分は25年間の農業高校の教員を経て、47歳で農業を始めました。
農家の長男であった自分は、卒業したら農業を継ぐつもりで大学の農学部に進みました。
専攻は農業経営学、指導教官の教授もとてもいい先生でした。
卒業後の農業経営を念頭に卒論は「企業的農業の可能性」としました。
ところが、どう考えても農業をやって楽しくて豊かな生活が送れるとは思えません。休みもなければお金もない、そんな農業しかイメージできませんでした。
農学部の友人たちは公務員か食品会社の研究室に進みました。自分も農業を継ぐのはやめ、「農業高校の先生になって、生徒たちに農業の大切さ、楽しさ、可能性を伝えよう」と高校教員になりました。
教員生活は大変楽しく、とっても安定していました。
目標とした、ひとつ目の「農業の大切さを教えること」は、すぐにできました。
二つ目の「農業の楽しさを伝えること」は、最初の頃は農業高校が荒れていてそれどころではありませんでしたが、時代の流れの中で、自然や環境や農業に関心が高まり「農業は楽しい」と言う生徒が増えていきました。
ところが三つ目の「農業の可能性」はいつまでたってもわかりません。生徒から進路相談で「先生、将来農業をやりたいのですがどうしたらいいですか」と質問されて、「とりあえず、大学の農学部へ進学したらどうかな」と答えている自分がいて、それがとても嫌でした。
時々、勉強や部活動で「そんなこと無理だよ」と思っていた夢を実現してしまう生徒がいて、そんな彼ら彼女たちがとっても、まぶしく思えました。
「農業の可能性を伝えたかったら、自分自身がやってみよう。農業に興味を持った生徒や学生を受け入れられるような農業経営体を目指そう」と思い、妻の応援もあって農業を始めました。
まだまだ、安定した経営体ではなくて、自分の夢、スタッフの夢をかなえているとは思えませんが、もう少し頑張って、農業の可能性にわくわくするような経営体になりたいと思っています。