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シルクロードの村で考えたこと


楼蘭遺跡からたくさん出土したことで知られる,胡楊という柳の木です。
1000年生きて、1000年枯れたままで立ち、倒れた後でも1000年腐らないと言われています。
「植物が生きているってどこまでを言うのかなあ」、有機野菜を育てていると、この木のことをよく思い出します。



どんな農業を目指そうかと模索していた30歳代前半の1999年、私は静岡大学農学部が実施した中国少数民族の衣食住に関する学術調査隊へ参加させていただきました。少数民族に残る「自然と人間の関わり方の知恵」を農業の視点で発掘するというのが調査の目的です。私が参加したのは、ウルムチ、トルファン、カシュガル、ホータンといった、中国の西域、新疆ウイグル自治区、シルクロードのオアシス都市の人々の暮らしです。

「オアシス」と聞くと、砂漠の真ん中に湧き水があり、緑に囲まれた小さな集落が交易に頼って暮らしているというイメージですが、実際のオアシスはまったく異なります。

砂漠を囲む巨大な山脈から雪解け水によってたくさんの川が流れており、オアシスは大農業地帯です。小麦、トウモロコシ、綿花、大根、ジャガイモ、リンゴ、ブドウ、ナシなど多くの作物が栽培され、牛、豚、羊、鶏といった家畜も飼育されています。見渡す限りの水田が広がる風景もあります。

 

砂漠は正確には「沙漠」と書きます。水は蒸発して消えることはあっても、砂のように水が吸収されてなくなってしまうわけではありません。川からの水と地下水が豊富なオアシス都市は肥沃な農村地帯です。

シルクロードは、砂漠のど真ん中を貫く道ではなく、沙漠の周辺に点在するオアシス都市を結ぶルートであり、アスファルトで舗装された経済道路として、今なお生き続けています。

「新疆」という地名の「疆」という字は、「弓を持つ騎馬民族と、土を耕す農耕民族が力を合わせて、三つの山の間に田を作った」という意味です。「一帯一路」構想やウイグル問題などが取り上げられがちですが、シルクロードのオアシスの人々の暮らしは2000年以上も前から綿々と今に続いています。

 この地はユーラシア大陸の地勢上の中心で、人々は海を見たことがありません。そのことが最初はとても不思議に思えたのですが、「地球の陸地のおよそ4分の1は沙漠です。それなのに、砂漠を見たことがない人がいるのと同じですよ。」と言われました。「自分の常識が普通というわけではない」、そんなことに気づかされました。

 

ある日、訪れた村で私たちは昼食の招待を受けました。とても美味しく楽しい時間でしたが、何より心に残ったのは、食事の前に村長さんが話してくださった挨拶です。

「遠い遠い日本から、砂漠の中の小さな小さな村に来ていただき、本当にありがとうございます。何もない村ですが、本日ご用意したお米もパンも、野菜や肉や果物も、ジュースやお茶やお酒も、すべてこの村で育ったものです。」

その言葉を聞いたとき、私はとっても贅沢だと思いました。

日本では、「選りすぐり」が重視され、全国各地から選び抜かれた食材で料理を作ることが「こだわり」とされています。でも、それはかつてバブルの時代に、キャビアやフォアグラやトリュフを空輸してありがたがっていたことと、あまり変わらないのではないかと思いました。

「本当の食のこだわりとは、その土地の光と水と空気と土から生まれた食をいただくこと。」、「その食材が育った物語を伝えられるような、そんな農業をやってみたい。」

シルクロードのオアシスの村で、そんなことを考え、それが今の、しあわせ野菜畑につながっています。

「身土不二」・・・しあわせ野菜畑の原点になっっている食事です。




静岡大学農学部創立50周年記念 「中国少数民族から学ぶ農と食の知恵」学術調査
第8次隊 「新疆ウイグル自治区調査隊」
1999年7月23日~8月17日

長安(西安)の都を後にし、「西のかた陽関を出ずれば 故人無からん」の陽関があるのが敦煌、
ここからシルクロードは3本に分かれます。

省都ウルムチを通る天山北路、トルファンを経てカシュガルに続く天山南路、タクラマカン砂漠の南を通る西域南道の3ルートがあります。
シルクロード天山北路は現在は経済道路、現代中国の「一帯一路」構想のメイン通路です。その中心は区都ウルムチ、人口は当時1999年で160万人。オアシスのイメージとはかけ離れていますが。110万人のカシュガル、80万人の石河市、60万人のイーニンもオアシス都市です。
写真の右に移っているのは、ホリデーイン(ホテル)、今はきっともっと高層ビルが立ち並んでいると思います。

省都ウルムチ(人口140万人)の街角の八百屋さん
すべて、この地でとれたものです。
バザールに野菜を売りに来た農家
シルクロード天山北路には、ロシアヤカザフスタンにつながる国際列車も走っていた。当時は1日2便でした。
アスファルトになっていますが、昔のシルクロードもこんな感じであったらしいです。オアシスに近づくと地下水が増えて、道路が波打ち車が揺れるのでわかります。
シルクロードのラクダはフタコブです。家畜であり個人所有で、普段は放し飼いで、探検があったりすると集めるそうです。
探検家スウェン・ヘディンが発見した「さまよえる湖」ロプノール湖にそそぐタリム川です。全長2196㎞の大河、この川の水が海ではなく、砂漠の中のロプノール湖にそそぎ、そこで消えていきます。
その昔、ロプノール湖が場所を変えた時に、歴史の中に消えていったのが湖のふもとに栄えていた古代都市ローラン(楼蘭)です。
タリム川が現在の場所を流れているのは1930年からとのこと、今でもさまよっています。

オアシスの中は大農業地帯です。渡す限りに大豆畑が広がっています。
遠くに見えるのが天山山脈。ここから雪解け水が流れて、オアシスができます。
これは水田、ツバメが飛んでいました。天山山脈は長さ2000㎞、幅が400㎞、日本の本州と同じくらいあります。
それとコンロン山脈に囲まれてタリム盆地があり、サハラ砂漠に次ぐ大きさのタクラマカン沙漠があります。
オアシスはタクラマカン沙漠の周縁部に点在し、それをつないでいるのがシルクロードです。
胡楊という柳の木「1000年生きて、1000年枯れたままで立ち、倒れた後でも1000年腐らないでそこにいる」・・・有機野菜を育てている時によく思い出します。

ウイグル人を真似て、ヒゲを生やしてみました
トルファンのカレーズ。ブドウを洗っていました。カレーズはカナートとかフォガラとも呼ばれている遠くの山麓から蒸発を防ぐために作られた地下用水路。今に続く古代からの歴史的建造物です。
トルファンには、盆地で死海に次おいで世界第2の低地(海抜-154m)があります。高温と乾燥と、カレーズの冷たい水で育つブドウはとてもおいしかったです。



トルファンの近郊にあるのが、西遊記で孫悟空が芭蕉扇で火を消した火焔山です。
地表面は80℃以上になるとのこと。今もって、山肌が火が燃えているようです。この日は47℃、湿度30%でした
サハラ砂漠に次ぐ広さがあるタクラマカン砂漠、広さは34万キロ㎡、日本の国土とほぼ等しいです。
タクラマカンとは「入ったら出られない」「死の海」という意味です。
オアシス都市があるのは、砂漠の中ではなくて、砂漠の周辺部です。シルクロードは砂漠の中ではなく、砂漠の周辺をつないでいます。
その、砂漠の中に石油が見つかって、タクラマカン砂漠の北側周辺を通るシルクロード「天山南路」と、南側周辺を通るシルクロード「西域南路」をつなぐ522㎞(東京大阪間間)の砂漠横断道路が作られています。真ん中に石油採掘基地があるだけで、他は何もない砂漠の中を9時間30分かけて走破しました。走破したところに「我、死亡の海を征服したり」の看板がたっています。

タクラマカン砂漠の南側を西域南道はシルクロードの面影を色濃く残しています。
沙漠からの砂塵を防ぐためにオアシスはポプラ並木に囲まれています。
ホータンのメイン道路
ホータンの近くの農家です。30歳、子供4人。トラジ―は当時で1台20万円~30万円。牛5頭、羊25頭、小麦とトウモロコシと果樹(リンゴ、桃、アンズ)を育てる畑1ヘクタールを所有いていて比較的裕福な農家です。販売しない自家用として鶏40羽、ガチョウ2羽、それから農耕用のロバもいました。
羊はおいいのをまず自分たちで食べて、残りを販売するんのだと言っていたのがおもしろかった。物々交換も多く、家もみんなで作ると言っていました。
ウイグルの少女。花がすりの民族服です
ウイグルの少年たち。今は35歳から40歳。ウイグル問題があるたびにはにかんだ笑顔を思い出します。生きていますように。