有機農業の本質

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当社は年間50品目の有機野菜を育てています。 参考になったのはスルガ銀行の海外研修助成事業で行かせていただいたヨーロッパ環境保全型農業の視察研修です。 研修の中で感じたことは、日本とヨーロッパでは有機農業の捉え方が異なるということでした。 日本の有機農業は無農薬で味が良いことを目的としていますが、 ヨーロッパの有機農業は「環境保全のために持続的な生産が行われること」が目的です。 その土地が本来持っている力で作物が作られていることが重要で、味が良いことは目的ではなく結果です。

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ドイツのスーパーでは主食のジャガイモが、有機のものは値段が7倍もしていましたが、美味しいのかと聞くと、必ずしもそうではないとのことでした。 それでも購入する人々がいるのは、「外部の力を借りないで、その土地が持っている最大限の力を引き出して育った魅力」が有機農産物にあるからです。 最初は理解できなかったのですが、高校野球に例えてみると、何となく理解できた気がしました。 優秀な選手を集めて恵まれた環境で練習をしているチームは見ていて楽しいし魅力があります。 しかし、小さい時から知っている地域の子供たちが、与えられた練習環境の中で、 自分たちの力の限り一生懸命に取り組んでいるチームにも魅力があります。 一回戦で負けるかもしれませんが、そんなチームだからこそもらえる勇気や元気があります。 無農薬で化学肥料を使わないで育てることは有機農業の手段であって本質ではありません。 有機農業の本質は「その土地の光と水と空気で、その土地が持っている最大限の力を引き出して育ったという魅力」であり、 生産者が有機農業に惹かれるのも、この農法に「人の生き方の原点」を感じているからではないかと思いました。 自分が目指しているのはそんな農業です。

( 2014年5月4日 静岡新聞 農業欄 こだま )

お届けするのは「生きる力」 

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年間50品目の野菜を農薬未使用で育て、全国へお届けしています。 農業を始めて6年目で、2年前に農業生産法人となりました。 下記は4年前の今頃いただいた手紙です。 食は単なる栄養素ではありません。この思いを心に留め、「生きる力」をお届けしています。

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しあわせ野菜畑さま。 いつも新鮮でおいしい野菜を届けてくださりありがとうございます。 なのに・・なのに・・申し訳ないのですが 4月いっぱいで野菜の宅配をやめさせていただきたいと思います。 実は、私は病気です。新鮮な野菜を食べれば治るんじゃないかと一生懸命努力してまいりましたが、病気は悪化しています。 今度、入院したらもう帰ってこられないかもしれません。そんな訳です。 野菜畑さんにはいいお野菜を良心的な価格で提供していただき、とても感謝しております。 今までありがとうございました。

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今日はとてもよいお天気で主人と車であちこち花見をしてきました。 自転車に乗って、この暖かな気候を楽しんでいたり、ご夫婦で歩いている方を見ると、自分はなんで病気なんだろうと悲しくなります。 いい野菜を食べれば、治らない病気も治るように思い、せっかく良い方を見つけたのに残念です。 4月の野菜宅配は後2回ですよね。それぐらいなら、まだ生きていられるでしょう。 あと、2回よろしくお願いいたします。

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最後の野菜が届きました。どれもきれいな野菜ばかりで良いものを選んでくださっているのだなと思いました。 工業製品のように均一にできない農作物を作るのは大変だと思いますが、信念を曲げないで、これからも頑張ってください。 名前の通り、人をしあわせにする野菜を作っていってください。 短い間でしたがお世話になりました。ありがとうございました。

 

( 2014年4月6日 静岡新聞 農業欄 こだま )          

私の未来

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2008年3月末に高等学校教員を退職し、農業を始めて5年が経過しました。

最初の半年間、サカタのタネ掛川総合研究センター野菜栽培事業部で働かせていただきながら、農業を始める準備をしました。

そのころの希望と不安が混ぜ合わさったような気持ちが、ブログに書いてありました。
(5・7・5と指を折って考えていたこと自体が呑気であったと言えば呑気ですが。)

クワを持ち 耕してるのは 明日への希望

這いつくばって 這いつくばって 草を取る
自分の夢への 第一歩

クワふるい 明日のために 種をまく
出てきておくれ 私の未来

 

植物工場

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美味しいこと、安心安全であること・・・その次に食に求められること

21世紀型の農業として植物工場が取り上げられることがあります。

ガラス温室の中で温度を管理し、 土を使わない溶液栽培、光もコントロールしLED照明で育てます。 害虫がいないので無農薬であり、埃がないので洗わなくてもいいくらいきれいです。 成長が速く回転率が良く収益性が期待できます。 少量多品目の有機野菜作りは、植物工場と対極にあります。 季節によって作るものは違うし、その土地の土と太陽に育まれます。 虫は敵ではなく共存するもので食べられた跡があったりします。 土を耕すとミミズ、ダンゴ虫、クモ、カエルといろいろな虫たちが出てきます。

環境学習のバイブルとして、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」という本があります。 「化学物質の使用は生態系を壊し、春がきても聞こえるのは風の音だけ、 鳥の鳴き声も虫の動く音も聞こえない沈黙した春を迎えることになる」 という話です。

農業は自然と共存しているように思われていますが、実は環境破壊の第一人者でもあります。 温室栽培においては連作障害を防ぐためには土壌消毒は欠かせません。 結果的に温室内の土壌には微生物すら存在していません。 温室の中はとっくに「沈黙の春」になっています。 これをさらに進めたのが植物工場です。 そこには虫もいませんが、太陽の光も風の音もありません。 聞こえるのは人間の足音と栄養分を含んだ溶液を流すためのモーター音です。 その野菜は安心安全に食することが出来る栄養素ではありますが、 「命をいただく」ことにはならないと思います。

農業から学んだこと

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下記の作文は、小笠高校の時の生徒が書いたものです。
「教えるということは自分の考えを整理することだ」と言われていますが、
改めてこの作文を読むとその通りだと思います。

生徒に教えていたように思っていましたが、実は生徒から教わっていたんだと痛感しています。

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「農業から学んだこと」

「よし、それじゃあ、今収穫したトウモロコシを生のまま食べてみよう」、先生の言っているその話の意味が私は最初理解できませんでした。「きっと、だましているんだ」と思いながら、そっとかじった一粒の生のトウモロコシはとても甘くておいしく、私はとても感動してしまいました。

これは「農業科学基礎」という授業で自分が育てたトウモロコシを収穫した時のひとコマです。私の通っている静岡県立小笠高等学校は総合学科の学校で、自分の興味や関心にあわせて科目を選ぶことができます。調理師希望の私は「食品加工」「食品科学」「食物」といった調理師に関係する科目を選択していますが、食材の勉強として選択した「農業科学基礎」で農業の面白さにひかれ、「草花」や「温室野菜」や「課題研究」といった農業科目も選択しました。「草花」では種から育てた花で花壇を作り、「温室野菜」では地域の特産物である温室メロンを育て、「課題研究」ではミツバチを飼って学校の中にある花からハチミツを取っています。

私は農業の科目を選択して農業っていいなあと痛感しています。田んぼから吹いてくる風はとてもさわやかだし、稲のさらさらという音はお金には変えることができない幸せな気分にしてくれます。私たちは自分たちの周りにある自然だと感じている風景が農業のおかげだと感謝すべきだと思います。農業は単に食料を提供するのではなく、私たちが自然だと感じている風や水や土や生き物たちの源です。農業に、もっともっと尊敬と感謝の気持ちを持つことが必要だと思います。自然の空気は何ものにも変えられないものです。今農業に興味がない人でも、一度自然に囲まれて心からリラックスできたら変わってくると思います。

畑で野菜を作っていると、畑には野菜以外にいろいろな生き物がいることにびっくりしました。チョウ、ハチ、トンボ、バッタ、カマキリ、てんとう虫、カエル、クモ、ミミズ、時にはモグラやタヌキやハクビシンに畑を荒らされたり、ハトやヒヨドリに野菜をつつかれたりもしました。しかし、考えてみると自然とはそういうものです。

私は「エコロジー」という環境に関する授業も選択していますが、その授業で見学に行った丹野池というのは、茶園へ過剰に投与され流れ出した肥料が原因で水が酸性化しており、コバルトブルーに輝く池の水はどこまでも澄んでいてきれいなのですが、魚もいない水草も生えていない、透き通った池の底に枯れた木が横たわっているとっても不気味な池でした。考えてみると虫がいない野菜はおかしいのです。トウモロコシにはアワノメイガという虫がつきます。私は、虫が付いた野菜なんて食べられないと思っていました。しかし、「虫が付いているのはおいしい証拠なのだ」ということが、トウモロコシを生で食べてみて納得でき、今では野菜に虫が付いていてもあまり気にならなくなりました。消費者はわがままで、「ムシがついた野菜はだめ、でも無農薬や減農薬の野菜を作ってほしい」と思っていますが、それは生産者から言うと無理に近いことです。

野菜の形についても同じことが言えます。人間だって同じ顔、同じ背の高さの人はいません。自分で実際野菜を作ってみることで、野菜にだっていろいろな形やいろいろな大きさがあってもいいと考えることができるようになりました。キュウリはとってもデリケートで手入れが悪いとすぐ曲がったキュウリができてしまいます。私は曲がったキュウリの値段が安いのは、形が悪いだけでなく、味も悪くおいしくないからだと思っていました。しかし、食べてみたら味は変わりません。逆に、キュウリの株に丸まりながらちょこんとくっついている曲がりキュウリが、とてもかわいらしく愛着がわいたものでした。

大根とニンジンを育てた時にも発見がありました。大根の葉はとてもおいしく、味噌汁や炒めものにしてとてもおいしくいただけるのです。ニンジンの葉は少し苦かったのですが栄養分はとてもありそうでした。現在の日本の農産物の流通では、なぜ大根やニンジンの葉を捨てているのでしょうか。

農産物の流通は生産者と消費者の役割分担がされすぎていると思います。温室メロンを作ることになったとき、最初はメロンを食べることがとても楽しみでした。しかし、苗から少しずつ大きくなっていくのを見ながら、いろいろな手間をかけているとメロンに対して愛着というか愛情がどんどんわいてきて、実際食べる時になったら、食べてしまうのがもったいなくて、「でも、せっかく大きくなってくれたのだから味わって食べなくちゃ」と思いながら少しずつ少しずつ、いろいろなことを思い出しながら食べました。生産者は作るだけ、消費者は食べるだけと役割に分かれていますが、生き物を育てて食べさせてもらっているという、一番大切なことが伝わっていないのではないかと思います。農産物は品種改良が進み苦味や臭みが少ないものに変わってきていますが、それは農産物が消費者に与えられる受身のものであり、それは本来の植物が持っている特性とはかけ離れたものになっています。そこには生命に対する尊厳の念や愛着が欠けていると思います。

他にも、野菜を育ててみると、次から次へと疑問がわいてきます。例えば野菜を収穫した時に野菜を洗うのはなぜでしょう。大根やニンジンやジャガイモを収穫すると小さな根がたくさんついています。土を洗い流すとこれらの根は全部取れてしまいます。土から取り出された野菜の生命力は思ったほど長くないはずです。洗うことでさらに生命力を短くしておきながら、保存料や防腐剤で長持ちさせているのはとてもおかしなことです。

このように、野菜を作ることでいままで当たり前に思っていたことに、いろいろな疑問を感じるようになりましたが、うれしい発見もたくさんありました。一番痛感していることは「収穫してすぐに調理や加工して食べることほど贅沢なことはないんだ」ということです。今はグルメブームで『こだわりの料理』が大流行です。世界各地や日本全国からおいしい食材や珍しい食材を見つけてきたり、自然農法や有機農法といった特殊な作り方をしている食材を集めてきたりして、一流の職人が心を込めてつくるのがこだわりの料理とされています。でも、私は本当のこだわりの料理とは、自分が育てたり、自分が畑に出かけて収穫したりした旬の食材を、その場で自分の手で料理することだと思います。『食は文化』といいます。大阪のたこ焼きや広島のお好み焼きや香川のうどんがおいしいのは、瀬戸内海性気候で雨が少なく、その場所で小麦が作られていたからであって、おいしいうどんを作るためにオーストラリアに小麦を捜し求めるのは本末転倒です。

『旬』と言う言葉の意味も野菜作りを通して知りました。日本には四季があって、その時その時にあった食べ物があります。夏におでんを食べないように、冬にそうめんを食べないように、その季節には季節に合った野菜があるはずです。「インカ帝国で太陽の贈り物といわれていたトマトは太陽が大好きなんだ」という話を聞きながら食べた真夏の真っ赤なトマトの味や、白菜を漬け物にするために洗った真冬の水の冷たさは今でも忘れません。旬の野菜はとてもおいしく新鮮で、そこにドラマがあります。栄養素も旬のものと、そうでないものでは違うはずです。

農業を体験してみて私は人の生き方についても考えさせられています。農業を学習する上で大切なのは責任を持つことです。畑に種をまいただけでは農作物は育ちません。国語や数学や英語の授業では自分が休んだり、手を抜いたりしても困るのは自分だけですが、農業の場合は自分が休むと植物がうまく育ってくれません。わき芽とりや誘引はめんどくさいし、暑い日の実習や草取りはいやだなと思ったけど、他の人はやってくれないし、大変なことでも自分がやらないといけません。植物はとても正直です。うそをつきません。やるべきことを責任もってやってあげないとうまく育ってくれないのです。

反面、「正しいことはひとつではない」ということも農業の面白いところです。肥料をやる回数や量を少し変えたり、農薬の種類を変えてみたり、まだ農業の初心者である私には自分なりの工夫としてやれることは少しなのですが、植物の生理や作業の目的を考えながら自分なりに工夫できることはとても楽しいことだと思いました。マニュアルはないといけないけど、それに縛られる必要はないということは、人と人との付き合い方にも共通することだと思います。

総合学科の高校に入学して農業に接してみて、私はいろいろな考え方ができるようになったと思います。私は将来調理師になることを目指していますが、自分で育てたり自分で見つけたりした旬の食材を使って、食材に愛着を感じながら、おいしい料理を作りたいと考えています。そして、自然に感謝でき、人間味があふれた、責任感のある大人になりたいと思います。

静岡県立小笠高等学校 3年 中林由佳  2004年

しあわせ野菜畑の原点

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しあわせ野菜畑は、少量多品目の野菜を育て、直接お客様にお届けしています。
また、野菜の加工品を作ったり、自社の野菜を食する食事会を開催したり、料理教室を開いたりしています。

この原点は小笠高校の農業の授業です。

静岡県内で最初の総合学科である小笠高校は、総合学科発足当時に様々な斬新的な取り組みをしました。

授業設定に関しては、生徒に関心が高いと思われる科目を立ち上げることができ、
その科目の選択を希望する生徒が増えると開講する講座数と職員数が増えました。
中国語、ポルトガル語、スポーツトレーナー論、陶芸、エコロジー、茶文化、マルチメディア、マーケティングなど様々な科目がありました。

そんな中で自分は、シルクロードとヨーロッパ研修での経験をもとにして、
生徒に個人別の小さな畑を与え、夏はキュウリ、トマト、ナス、トウモロコシ、枝豆を育て、秋はレタス、白菜、ダイコン、ニンジン、ブロッコリー、ホウレンソウを育て、育てた野菜を授業の中で料理をして食べたり、家で料理をさせてレポートで提出させたりし、
冬は白菜の漬物を作ったり、大豆から豆腐を作ったり、小麦粉からうどんを作ったりするという授業を立ち上げました。

農業高校の授業は、作物を限定して専門的に教えることが一般的です。
これは、「経営的に有利な作物をひとつ選び、それを大規模に作る専作経営が農業の近代化である。
農業教育は産業教育であり、趣味の園芸ではない。」という考え方です。

専門学習への基礎科目として数種類の野菜を育てる科目はあるのですが、総合学科設立時の小笠高校には導入科目という考え方がなく、その科目は実施されていませんでした。
立ちあげたのは、この科目の内容をさらに多様化し、ひとつの科目の中で10種類以上の野菜を育て、加工や調理もするというもので、メロンを育てる農業科目の履修を希望したものの、人気が高く施設の関係で受け入れることができない生徒が出てしまい、やむなく開講が認められました。
写真はその時に受講した生徒です。


1講座9人で始まったこの授業は、その後、農業科目選択生の必修科目となり、4年目には3講座60人の選択生を抱える講座となりました。

授業は予想以上に好評でした。
授業の時だけでなく、放課後や休みの時に農場に顔を出す生徒も多くいました。
一緒に来た母親が、「こういう授業なら私がやりたいな。」と言ってくれることもよくあり、とても嬉しく思いました。

そして、生徒たちが楽しそうに取り組んでくれる様子を見ながら、「もしかしたら、こういう農業経営をやれば、将来、農業をやりたいという子が現れるかもしれない。農業の担い手を育てられるかもしれない」と思いました。

この授業が、しあわせ野菜畑の原点です。

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この写真から8年後に農業を始めたのですが、予想はしてたのですが、やはり農業は大変でした。
仕事で使う軽トラックの座席は直角でリクライニングがないのですが仕事が終わると疲れて車から降りることもできずに直角のまま眠っていたり、夕食の時には、ご飯やお椀を手にしたまま眠りそうになって妻に起こされたりもしました。
夏は体から熱が逃げなくて、仕方がないので水風呂によく入ったし、筋肉がけいれんして寝れないこともありました。
3年間は日曜日も夏休みもなく農作業をしていました。
そんなふうに働いていても収入は全然増えません。

この写真を見ながら「お前たちがあんまり楽しそうな顔をするから、大変なことを始めちゃったよなぁ。」などと時には思いながらも、
「大丈夫、絶対方向性は間違っていない。」と、笑顔に元気をもらい勇気づけられたものでした。

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そんな、彼女たちが先日お店に来てくれました。
ミニスカートとルーズソックスだった彼女たちも、今は素敵な女性に、そして、いいお母さんになっていましたが、笑顔は昔のままでした。
その笑顔を見ながら、「大丈夫、絶対方向性は間違っていない。」と改めて確信し、
そして「農業を始めて良かったな。」と思いました。
彼女たち、そして農業の授業で接した、たくさんの教え子達に感謝しています。  

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